第14回特別展『守る城、攻める城 -関ヶ原合戦から大坂の陣-』

会 期:平成25年10月12日(土曜日)から11月24日(日曜日)

観覧料:一般 200(160)円、高校・大学生 100(80)円、小・中学生 50(40)円

    ※()は、20名以上の団体料金

講演会:■平成25年10月19日(土曜日)午後2時から

     「実像の大坂包囲網」

     講師:藤田達生氏(三重大学教授) 

    ■平成25年11月4日(月曜日・休日)午後2時から

     「城から大坂の陣を読み解く」

     講師:中井 均氏(滋賀県立大学教授)

     ※上記のとおり、講演会を実施しました。     

開催にあたって

津城  大坂城が所在する畿内は、大坂城を中心として畿内の城郭すべてを含み、畿内全体が惣構えを形成していたとされる。この畿内惣構えを構想したのは豊臣秀吉であったといわれている。

 大和では郡山城、高取城、宇陀松山城の三城が畿内惣構え体制の中で、中心的な城郭であったと位置付けられる。郡山城は国中を押さえる城であり、高取城は、その詰めの城とされている。宇陀松山城は、畿内と東国の境目の城、東国に対する最前線の城と考えられている。近年の発掘調査の成果から宇陀松山城は、関ヶ原合戦以前の多賀秀種が城主であった時期に、もうすでに天守閣が建てられていたと推定されている。このことからも、宇陀松山城が、豊臣政権から重要視されていたことがわかる。

 また関ヶ原合戦後に築城された新庄陣屋も、近年の研究から畿内惣構え体制に位置付けられる城郭であったことが明らかとなっている。

 大坂城を中心とする機内惣構え体制は、慶長13年(1608)頃から、徳川家康による大坂城包囲網によって変質を余儀なくされてゆく。宇陀松山城の東にあった伊賀上野城も豊臣大名であった城主筒井定次が改易され、大坂城を守る城から一転して、大坂城を攻める最前線の城として、性格を変容させてゆく。

 本特別展では、豊臣政権による畿内惣構え体制と、これに対抗する徳川家康による大坂城包囲網体制について考察を行なう。       

展示構成

 1.守る城―大和三城―

 2.攻める城―伊賀上野城・伊勢津城

 3.新庄陣屋

主な展示品

 高取城

 ・高取城絵図 高田郷土文庫 

 郡山城

 ・和州郡山藩家中図 奈良県立図書情報館 

 宇陀松山城

 ・阿紀山城図 宇陀市教育委員会

 ・宇陀松山城鬼瓦(桐紋) 宇陀市教育委員会

 伊賀上野城

 ・上野城下図(慶安元年)  伊賀文化産業協会

 ・大坂夏の陣旗指物一式 伊賀文化産業協会

 ・大食篭 伊賀文化産業協会

 伊勢津城

 ・寛永期津城下図  津市教育委員会

 ・大坂御陣家中指物之図  津市教育委員会

 ・津藩分限帳  津市教育委員会

 新庄陣屋

 ・新庄陣屋絵図

 ・新庄城図

  など