傘堂 ■かさどう
■葛城市染野726番地
■土地・建物ともに新在家・染野・今在家の三大字の共有地。二上山雌岳から大阪へ続く岩屋道の途中にあり、その特異な姿から『傘堂』とよばれている。延宝2年(1674)11月、大和郡山城主であった本多正勝の影堂として建立、昭和60年、奈良県有形民俗文化財に指定された。
 


 

■9月2日、葛城市染野の傘堂において、新在家・染野・今在家の三カ大字による「傘堂のセガキ」(大池の施餓鬼)が営まれました。毎年八朔の日に三カ大字の役員の方たちが集まり、敷地内の二基の墓碑の前に本多正勝候の位牌を据え法要を行うもので、地元では「八朔の法要」とも呼ばれています。今年の当屋を務める新在家の藤田区長に話をうかがいました。
「役員の多くがサラリーマンであるなど、決まって八朔の日(9月1日)に法事を行うのが難しくなってきました。それで、昨年度から9月の第一日曜日に変更するように。お勤めの後、今日はこれから新在家の公民館で食事をします。三カ大字の交流の場でもあります」。

■かつて傘堂に吊り下げられていた梵鐘(現在は石光寺所蔵)に、三カ大字の灌漑池である大池の開削と、傘堂との関連をつづる銘文が刻まれています。水飢饉に苦しむ農民の救済のために、大池の築造の願主となった藩主と、工事に尽力した人々の菩提を弔う供養塔として三百年以上も傘堂は大切に守られてきました。そして大池の恩恵に預かる感謝の意を込めて、今もなお八朔の法要が営まれているのです。


 

   
傘堂の西に大池は豊かな水をたたえる。左手奥にかすんで見えるのが二上山雌岳
 
  午後4時過ぎ、おごそかに法要が始まった本年度位牌を預かる明円寺(新在家)の住職による読経があげられる
 
並んで建つ墓碑は向かって右が「吉弘統家」、左は「藤懸玄達」のもの傘堂は大池の工事に尽力した人々の供養塔である   傘堂の軒裏に位牌を納める厨子が見える。位牌は現在、三カ大字の寺が順に輪番で保管の任にあたっている


 

■かつては、當麻れんぞの日に極楽往生を願う人々が訪れ、傘堂の周囲を合掌して巡り歩いたとか。心経を唱えながら柱の周囲を回ったり、傘堂の印を腰巻に押してもらい無病息災を祈願するものだったそうです。いつの頃からか、傘堂にはぽっくり信仰があり、下の世話を受けずに往生できるという言い伝えもあったということです。
柱に書かれた無数の落書きに、多くの人々の切実な信仰心をうかがい見ることができます。

 


 

●傘堂絵図(部分)『西国三十三所名所図会』より

幕末、嘉永6年(1858)刊行の暁鐘成(あかつきのかねなり)の撰によるもの。以下に同書の傘堂の項(抜粋)を記す。
「新宮鳥居の傍にあり、軒にて凡二間四方中心に柱一本を立つる、長さ凡八尺太さ凡一尺三寸四方、心柱一本を以て造るが故に俗に傘堂といふ。岩屋越の旅人ここに下るなり」