明治八年当時、大字に伝わる古文書には、堺県下大和第五十六区四小区葛下郡八川 八川村と記載されています。当時の大字戸数は四十二戸、人口は二百十一人とあり、一戸平均五名の家族であったようです。大正から昭和にかけて奈良県北葛城郡磐城村と呼称され、その後當麻村との合併により當麻町八川、新庄町との合併で現在の葛城市八川となりました。

戦前の昭和十五年では二十五戸、終戦直後の昭和二十年は十九戸でした。
八川には六百年の歴史を誇る照久寺があり、土塀に刻まれた五本の白線や、天をも貫かんばかりにそびえ立つ大銀杏の大木は、本堂の大屋根と共に今も八川の人びとの心の支えと安らぎを与えてくれているようです。