北道穂(きたみつぼ)
大字名の由来
道穂の名は「ミツホ」として、室町時代に見られます。戦国時代には「布施郷方…見つほ領」とあり、当時は道穂が布施氏の支配下にあったことがわかります。
江戸時代になると、はじめ新庄藩領でしたが、天和2年(1682)の藩主桑山一尹の改易により幕府領に編入され明治維新にいたりました。
なお、「慶長郷帳」では「三坪」、「元和郷帳」では「ミツほ」、「寛文郷帳」では「道穂」とあり、「元禄郷帳」では「ミチホ」と訓じていることから、江戸時代に「三坪」から「道穂」に変遷したこと、「ミツほ」「ミチホ」と訓じていたことがわかります。
更新日:2021年03月01日