南花内(みなみはなうち)
大字名の由来
南花内の「花内」は、北方の北花内の「花内」と相通じる地名で、北花内の所在する宮内庁所管の「飯豊天皇埴口丘陵」の「埴口」が転訛したものと考えられています。埴口は、埴内、埴日、埴田などとも記され、「日本書紀」に次いで撰上(せんじょう)された歴史書である「続日本紀」の天平6年(734)6月条に、葛下郡の花口宮麻呂が私稲を散じ貧民を救済したとあり、宮麻呂なる人物がこの地に居住していたとすると、「埴口」が「花口」に転訛していたことになります。その後「金峯山免田田数注進状」に「ハナウチ」とあり、「花内」と書かれるようになったものと思われます。
更新日:2021年03月01日