梅室(うめむろ)
大字名の由来
梅室の名前が記されている最も古い史料は、文禄4年(1595)の「大和国忍海郡脇田ノ村御検地帳」で、「梅室少二郎」の名が見え、「ムメムロ」と送り仮名されています。梅室は、江戸時代のはじめ脇田上ノ村に含まれ、寛永16年(1639)の「国郷帳」では脇田上ノ村が脇田、平岡、山口、上ノ小林共の4か村に分割されており、上ノ小林共は寛文4年(1664)の「寛文印知集」では上ノ村と小林村に分離し、元禄13年(1700)の「元禄郷帳」では上ノ村が梅室、笛吹、上ノ馬場の3か村に分割され梅室が笛吹とともに一つの村として独立していたことがわかります。
更新日:2021年03月01日