弁之庄(べんのしょう)
大字名の由来
弁之庄は正式には「辨之庄」と書きます。庄の字が示すように、平安時代から室町時代にかけて「弁庄(べんのしょう)」という興福寺領の荘園があり、その名がそのまま地名となって今日に至っています。弁之庄と記されるようになったのは、江戸時代前期の「寛永郷帳」からです。
主な歴史遺産や名所
- 諸鍬神社
(本来は新庄藩主の桑山氏の氏神で、藩主桑山一晴が入部とともに本貫地の尾張国海東郡諸桑村鎮座の式内社諸桑神社を現社地に遷座したものです。) - 厳島神社
(「弁天さん」として親しまれ、7月7日の例祭は通常「弁天祭」として多くの人びとでにぎわう盛大な祭となっています。)
更新日:2021年03月01日