第16回特別展「桑山一族 紀州和歌山から大和新城へ」

更新日:2021年03月01日

城を描いた日本画と、桑山重晴木像の写真が載った第16回特別展「桑山一族 紀州和歌山から大和新城へ」のポスター

会期

平成27年10月17日(土曜日)~11月29日(日曜日)

場所

歴史博物館1階「特別展示室」

観覧料

一般 200円(20名以上の団体料金:160円)、高校・大学生 100円(20名以上の団体料金:80円)、小・中学生 50円(20名以上の団体料金:40円)

その他

(注意)その他、歴史博物館については、下記のリンクをご覧ください。

行事

特別展記念講演会を実施いたします。

「豊臣政権下の桑山重晴」

  • 日時:平成27年10月24日(土曜日)
    午後2時から
  • 講師:播磨良紀氏(中京大学教授)

「動く天守閣 -城郭建築の移動を考える-」

  • 日時:平成27年11月29日(日曜日)
    午後2時から
  • 講師:中井 均氏(滋賀県立大学教授)

備考

  • 入場:無料
  • 募集:200名程度(要申込み)
  • 申込先:歴史博物館(電話番号:0745-64-1414)

開催にあたって

 関ヶ原合戦で徳川方として軍功を挙げた桑山一晴は、慶長6年(1601)に、その功績により、紀州和歌山から大和布施(現葛城市)へと転封した。桑山一晴は大和の領地支配の拠点として、布施氏の新城跡(現屋敷山公園周辺)に陣屋を築き、陣屋町を建設した。また第二代藩主桑山一直は高田の町を整備した。
 桑山氏発展の礎となり、歴史の表舞台へと登場させたのは、一晴の祖父の桑山重晴であった。重晴は賤ヶ岳の合戦で豊臣方として軍功をあげ、桑山氏発展のきっかけを作った。天正11年(1583)のことである。豊臣秀長の重臣であった桑山重晴は秀長の大和、和泉、紀伊領国化に伴い、おもに紀伊の支配を担当することとなった。天正13年(1585)、紀伊に入部した重晴は、藤堂高虎らとともに、紀州支配の拠点として、豊臣政権の絶大なバックアップのもと和歌山城を築城した。重晴は当初城代として、のちには城主として和歌山城に君臨した。この和歌山城はのちに浅野氏、徳川氏の居城として、存続することになる。
 桑山氏の築城した和歌山城については、その後の浅野氏、徳川氏の手による改変、拡充などにより、いまだに明らかになっていない点が多い。しかしながら近年、和歌山城に関する調査・研究が進展し、桑山期の和歌山城についても、その状況が明らかになりつつある。このような研究成果のもと、同じ桑山氏が築き、いまだ不明な点が残されている、新庄陣屋との比較も可能になるものと思われる。
 本特別展では、上記の点に留意しつつ、桑山氏の築いた和歌山城と新庄陣屋の考察を中心にして展示を行なう。
(開催要項より)

展示構成

  1. 桑山氏和歌山城
  2. その後の和歌山城
  3. 新庄陣屋・陣屋町・高田

主な展示品

  • 桑山重晴木像(寶樹院蔵)
  • 豊臣秀吉木像(寶樹院蔵)
  • 和歌山古屋敷絵図(和歌山県立図書館蔵)
  • 若山御城下図(和歌山県立図書館蔵)

など

この記事に関するお問い合わせ先

歴史博物館
奈良県葛城市忍海250番地1
電話番号:0745-64-1414
ファクス番号:0745-62-1661

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