鳥谷口古墳
鳥谷口古墳(とりたにぐちこふん)・県指定史跡

説明
二上山から東にのびる尾根の先端に築かれたこの古墳は、昭和58年(1983)の工事中に偶然発見されました。
この場所の小字名から、鳥谷口古墳と名付けられました。
やや横長の四角形の古墳で、埋葬施設は横口式石槨(よこぐちしきせっかく)と呼ばれる小さな石室です。
発見後すぐに調査がおこなわれ、7世紀後半頃に築造されたことなどが判明しました。しかし、副葬品などはなく、どのような人物が葬られたのかはわかりません。
さて二上山と言えば、大津皇子(おおつのみこ・天武天皇の第三皇子)のために姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ「万葉集」の次の歌があります。
うつそみの人なる我や明日よりは
二上山を弟と我が見む
この歌の詞書(前文)には「大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に大来皇女の哀傷して作らす歌…」とあり、皇子の亡骸が二上山に葬られたと、記されています。
現在、大津皇子の墓は二上山雄岳山頂にあるとされていますが、この鳥谷口古墳が「万葉集」に記された皇子の墓であるという説もあります。
所在地
葛城市染野
アクセス
近鉄当麻寺駅より西へ徒歩30分
更新日:2021年03月01日